天草秘聞 南蛮頭巾

G · 1952 · 1時間17分
九州天草島は徳川時代の唯一の開港場長崎に近く、海外文化の光に浴してキリスト教に帰依する者が多かったが、当時幕府はこれを邪教として取り締まり、重刑に処した。しかも領主寺澤兵庫は、邪教を取り締まるばかりではなく、重税を課して島民を苦しめた。益田甚兵衞は一子四郎とともに天草の島にあって農耕に従っていたが、彼は小西行長の遺臣で、同じく島にある森宗意軒とともに小西家再興を図っていた。彼らはともにキリスト教を信仰していたが、宗意軒はキリスト教の旗印をかかげて反乱を起こすことによって同宗の大名を動かし、大業を成し遂げようとしていた。そして宗意軒は四郎が十六歳になると聞くと、日本に布教したシャビエル師が予言して去った救い主の天童とは四郎のことだと言い出して、日頃の義侠によって島民の信頼を得ている彼を無理に先頭に立てるように仕向けた。四郎はその策謀を知りながらも、道のために身を捧げる覚悟によって宗意軒に従っていた。松平伊豆守の派遣した隠密の鳩売り四方太と傀儡師に身をやつした銀之丞、実は女性のお銀の二人はこの事実を突き止めるが、お銀は四郎の純真無私な態度に自分も宗門に帰依し、四郎を想う千束善右衞門の娘妙とともに彼に従うのだった。信徒が処刑される当日、遂に宗門の一党を引き連れて立ち上がった天草四郎は、富岡城を攻略しようという宗意軒を断固としてはねつけ、宗教の自由を得るための聖戦をすることを宣言して、一同の先頭に立って島原城へと進むのであった。